ヨーロッパ横断紀行
ランナーの巡礼歩き〜クラクフからジブラルタルまで6700km〜 太田 宏
14・・その2−スペイン1(Irún (イルン)からSan Vicente de la Barquera(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ)まで 9/4-9/15))
【20.9/4(日)Irún(イルン)からSan Sebastian(サン・セバスチャン)まで】
【21.9/5(月) San Sebastian(サン・セバスチャン)からZumaia(スマイア)まで】
【22.9/6(火)Zumaia(スマイア)からMarquina-Xrmein(マルキナ・シュメイン)まで】
【23.9/07(水) Marquina-Xrmein(マルキナ・シュメイン)からGernica-Lumo(ゲルニカ・ルモ)まで】
【24.9/8(木)Gernica-Lumo(ゲルニカ・ルモ)からBilbao(ビルバオ)まで】
【25.9/9(金)Bilbao(ビルバオ)からPobeña (ポベニャ)まで】
【26.9/10(土) Pobeña (ポベニャ)からIslares(イスラレス)まで】
【27.9/11(日) Islares (イスラレス)からSantoña(サントーニャ)まで】
【28.9/12(月) Santoña(サントーニャ)からGüemes(グエメス)まで】
【29.9/13 (火) Güemes(グエメス)からBoo de Piélagos(ボオ・デ・ピエラゴス)まで】
【30.9/14(水) Boo de Piélagos(ボオ・デ・ピエラゴス)からSantillana del Mar(サンティヤーナ・デ・マール)まで】
【31.9/15(木) Santillana del Mar(サンティヤーナ・デ・ マール)からSan Vicente de la Barquera(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ)まで】
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【20.9/4(日)Irún(イルン)からSan Sebastian(サン・セバスチャン)まで】+【Memoirs25---1st day of Camino del Norte】
本日はIrún(イルン)−San Sebastian(サン・セバスチャン)23km。
北の道はイルンからSCまでの海外コースで816.04kmもある。この道を行くcamino仲間なら必ずどこから歩いて来たかを尋ねられる。
Irún(イルン)から、San Sebastián(サン・セバスティアン) から、はたまたBilbao(ビルバオ)からと。大体3通りの答を予想する。
ところが、これをパリから歩いて来たと言うと一応にギョッツとされる。詳しくは、パリから電車でRamboullet(ランブイエ)に行き、Chartres(シャルトル)まで歩いた後、St Malo(サン・マロ)まで電車に乗ってSaint Brieuc(サン・ブリュー)まで歩き、その後ブルターニューを旅し、
Nantes(ナント)までBlaBlaCarで行き、またそこからBordeaux(ボルドー)まで歩き、Sant-Vincent-de-Tyrosse(サン・ヴァンサン・ド・ティロス)まで電車に乗った後は、ここまで歩いてきましたと。
とは答えるものの回答が長すぎるので、一声パリからですと。多少端折っても許されるであろう。
4:30起床 5:30アルベルゲの外へ。別棟であったために台所は無く外で朝食 6:15 出発。ここでまたもや黒いナイフをしまい忘れていたらしい。朝一番にヘッドライトを点けて出たものの、すぐに道に迷う。My Mapのせいで、さっと地図をみて、ろくにマークなど見ずに歩いてしまう癖がついているのでいけない。camino道はいままでの道とは違って直線コースは少なく、しょっちゅう曲るため矢印の見落としは致命傷となる。
しかも真っ暗で様子がよくわからない。沼のようなところを右に、左に、徘徊するように進む。高度が上がってくるに従い夜明けとなった。標高150mの箇所に教会があり日曜日の礼拝に大勢の人たちが車で上ってきていた。7:30の鐘が連打される。ここからさらに100mばかり急斜面を登ると、巻道の一般caminoルートと稜線歩きのための登山ルートとの2手に分かれる。大西洋と、イルンの町を同時に見るためには、頂上まで続く登山ルートを取ることが望ましい。およそこのコースを行く人は1/100くらいの確率でごくごく少ない。なにせさらに300mほど余計に登らなくてはならないからである。
最初それに気づかずのまきみちとなるcaminoルートを取っていた。途中で気づいて登山口に戻っていたときだ。巡礼の女性から「これ忘れたでしょう」と差し出されたのがさきほど忘れたていたナイフである。このナイフ何か奇跡をおこすようだ。
山頂への道は極めて厳しいが、トレッキングコースとしてマウンテンバイクや地元のハイカーなどが登っていた。南から逆向きに来る人も多く恰好のハイキングコースとなっているようである。
535mのJaizkibelヤイスキベル山頂に8:45着、この山半端ではなかった。本格的登山である。軽装なら確実に楽しいはずだ。地元の人達がトレッキングを楽しんでいた
view from Jaizkibel(ハイスキベル山からピレネー山脈を眺望))(140°、9:06)
中央はParque Natural Aiako-Harria (アヤコ=アリア自然公園 )の急峻な山々。バスク自治区の境界がこの稜線。この向こうはナバラになる。パンプローナが控える。
Jaizkibel
登頂後は、一気にPasaia San Pedro(パッサイア)まで下りる。
Pasaiaの船着き場 11:45着。 対岸でリュックの荷物で昼食、スケッチ、12:30発
Pasia(パッサイアの風景)(330°、12:20)
この右側が絵になる風景であるが時間がなく突端だけスケッチ。あとで知り合った中国人女性(パリ在住)はその部分をみごとなペンスケッチでノートに仕上げていた。
ここではもはや歩数カウントは必要ない、矢印があり方向をまちがわないからだ。カナダ、ドイツ人など多彩な国際的人が歩いている。ここからDonostia(ドノスティア)-San Sebastián(サン・セバスティアン)までは丘を歩く気持ち良いコースとなる。
丘の上で、Tribes(www.twelvetribe.com)というコミュニティーを日本とも結んでいる人から声を掛けられ接待を受ける。ボカディージョやジュースのサービスがあったがドイツ人とともに1人10ユーロを置いてきた。素晴らし邸宅だ。SanSebastian まで2.7km 50分の距離である。1時間半ほど寛ぐ、一緒にいた1人はここに泊まるという。
サンセバスチャンの町の端に15:33到着。ビーチを西に歩く。海水浴客で一杯だ。予定したHostelは満室だという。系列のHostelを探してもらい旧市街に近い場所に移動。さすが25ユーロだ。シャワーroomが多くがら空きの状態。
夕刻はBar Borda,Bar San Telmo, Bar Z Agua, taberna karrikaなどを梯子。 ここではpintxo(ピンチョス)、pisto、menestra de verduras(野菜の蒸し煮)などを食す。 小さなスーパー(igedoなど)は日曜日でも開いている。翌日の食料などを買い求める、エスカリカソコ(ありがとう)を何回使ったことだろう。これ程の雑踏を知らない。旧市街はレガッタ競争が終わった祝杯なのか若者で溢れ返っている。
大都市が海の間際にある例。川の河口部分は海水の逆流で波打っている。恐ろしいほどである。市民や観光客は、この橋を行き来して旧市街地にひしめくBarを梯子する。海の突端にビルがひしめくような津波が来たらどうするのかと思う。こんな危なっかしい光景は日本にはない。
old town of San Sebastián
(サン・セバスティアンの旧市街地)(330°、17:50)
Map: Between Irún
Donostia/San Sebastián
(イルンからドノスティア/サン・セバスティアンまでの地図)
(1st day for camino del Norte)
Elevation Profile : Between Irún and Donostia/San Sebastián(イルン)
(イルンからDonostia/San Sebastiánまでの標高地図)
【21.9/5(月) San Sebastian(サン・セバスチャン)からZumaia(スマイア)まで】+【Memoirs26--2nd day of Camino del Norte】
本日はSan Sebastian(サン・セバスチャン)−Iglid−Orio—Zarauz(サラウツ)−(Getaria)−Akizu −Zumaia(スマイア)の33km。
ホステルを5:40に抜け出した。バスク自治州の中心都市サン・セバスチャンを出発。Bahía de la Concha(コンチャ湾)を右手に見ながらPlaya de la Concha(コンチャ海岸)の道を3kmほど歩く。海岸の堤の直下からは砂浜が広がる。波音が次第に激しくなってきた。砂浜がついに終わりとなり海水が突堤に直接ぶつかる。camino道はここで陸側に折れる。コンチャ海岸を見渡せる絶景へと、Igeldo(イゲルド)灯台の方へ登りにかかる。2.5kmを登りきる。灯台の光が一周するごとに足元をスキャンする高さに達した。坂道の1.3km以降は家屋の建設が制限されているようだ。灯台の光を優先するためだろうか。6:40とまだ真っ暗だ。何とかここで絶体絶命の事態が。この坂道終点が有料スペースになっているらしく高い門で施錠されてしまっている。3mもあろうか。一旦はこれをよじ登って門の突破を考えたが100mほど先も同じ門があったので観念したほうがよかろう。時間は7:10になっている。8時か9時まで待てばいずれ門は開くであろうが時間が惜しい。また2.5km戻り本来のcamino道へ。1.4km登り返して同じ標高に達する。ロスタイム5km、1時間半。ここに至る途中の山道でも道に迷った。どうも歩道があるとそれにつれて行くという悪い癖が直らない。気を付けて歩けば矢印がでていたのだ。
朝方の失策は余りにも痛い。気をとり直して一般camino 道を進む。マークに依存した歩行は支配されている形で面白くない。この辺に方向転換のマークがある筈だという感じのほうが気が楽である。要するにまたいつもの計測方法(My Map+歩数カウント)に戻った。
今回の巡礼道では道端でゆっくり休んでもおれない。皆が?オラーなどと声を掛けていくからだ。今後は見つからないような場所を見つけてマットレスを敷かねばならないだろう。今日のコースはOrio(オリオ)→Zarauz(サラウツ)→top of Getaria(ゲタリア上部)→Askizu(アスキス)→Zumaia(スマイア)と進むのであるが、海岸寄りのUp-Downの激しい道程である。
10:00休憩。アメリカからの熟年男女が同じようなマットを持っていた。
Orio(オリオ)のBarで会ったアルゼンチンからの3人組(Guilleminaギレミア、Tatoタト、Fabianファビアン)と共に午前-午後の数時間行動を共にする、年齢構成は、60 62 25。25歳のFabianは父Guillemanと一緒に1日だけ行動をともにし、明日Sebastin に戻りバレンシアを観光して本国に戻るという。若い女性の法律家である。この3人いずれも健脚。
Zarauz viewing from pass アルゼンチンからの3人組
サラウツはまさに海水浴客であふれかえっている。こちらはそれに羨望を覚えながらも、暑い中をずんずん進む。
Zarauz Beach
Zarauz top
Getaria(ゲタリア) をパスする道を殆どの人が知らない。道の案内も僅。しかし誰も歩いておらず快適なコースである。遥か丘の上からGetaria を望む。この北の道、半端ではない。常に上りと下り。0リセットが繰り返される190m上ったとする、同じ量の下りが待ってる。海岸に戻るからだ。苛酷なまでに厳しい、ぼとぼとの大汗である。しかし何処にでも水はありそう。顔を洗い頭から水をかぶりreset。太陽バッテリをsetなどしている間にサングラスを忘れて来てしまった。あぁ、失策が続く。
Zumaia の港では桟橋から少年達が飛び込んで泳いでいる。まだまだ暑いのだ。
Getaria(ゲタリア) viewing
from top
ゲタリアの町を遠望する
La Iglesia de San Pedro(サン・ペドロ教会) Zumaia(スマイア)
(90°、18:58)
Utrola Ibaia(スマイアの河口)からAskizu(アスキス)の方向を望む(48°、20:10)
camino道は右側の丘を下る。
Utrola Ibaia(スマイアの河口)で泳ぐ子供たち
Map: Between
Donostia/San Sebastián and Zumaia
(ドノスティア/サン・セバスティアンからまスマイアまでの地図)
Elevation Profile : Between Donostia/San Sebastián and Zumaia()
(イルンからDonostia/San Sebastiánまでの標高地図)
Monte Igeldo(イゲルドの丘)の丘はUターンOrioの直前まで399mの山道。
【22.9/6(火)Zumaia(スマイア)からMarquina-Xrmein(マルキナ・シュメイン)まで】
+【Memoirs27−3rd day of Camino del Norte】
今日のコースはZumaia(スマイア)→Elorriaga(エロリガ)→Itziar(イツアー)→Deba(デバ)→Aparain→Olatz(オラ)→Armoate(アルモアテ)−Marquina-Xrmein(マルキナ・シュメイン)の34km。
アルベルゲは7:00にならないと外へ出れない規則、そこをお願いして6:30に出してもらう、イルンでやったように外に腰掛け朝食を摂る。荷物を減らす為の必須事項である。6:50出発。老婆が一緒に急坂を登っていく。上に教会があるからだろう。丘の上は素晴らしい景色。朝焼けの空が美しい。
日の出 7:48
Dawn bright(90°、7:25)
真っ暗な中を、Zumaia(スマイア)の町の急坂を上がっていく。
丘に到達してしばらく行くと朝焼けがあった。素晴らしい天候に恵まれそうだ。
8:30 国道N634と合流する箇所にBarあり。カフェコンレチェを注文。水を補給してもらう。このあとN634を400mほど歩く。フランスでさんざん経験した車道歩き。歩道部分に白線が引かれているだけでもましである。
9:30 Itziar(イツアー)の教会の裏で今日最初の休憩、丘の上にある町でここから海が見渡せる。写真はもう殆ど撮らない。だって先人達がこれでもかというほどfacebookにupしてくれているからだ。断捨離という意味もあり、心に焼き付けるのが先決であろうとも思う。
電池98%。晴れているので午後はソーラー発電を行いバッテリーに貯める。
Deba 10:45、食料をget、これから本格的登りがはじまる。Olatz(オラ)まで8kmくらいか。水とパンを求めよう。丘陵地帯に登ればなんと多数の隘路。
MyMap この「d」のpointで道を間違えたらしい。
「f」に戻るまで相当の苦戦。
後で気付いたのだが傾斜7°の坂道も1,2,3と歩数をカウントしていたため曲がり角を見落とし道に迷う。ずっと黄色い矢印が存在していたのは、Mutriku(ムトリク)という海岸にある町へのルートであり、ヴァリアントルートの一つになっていたようだ。アルベルゲなどが離れた場所にある場合でも矢印が誘導してくれているので注意が必要である。
ここはMaps.Meで現在場所を確認し、合流地点までの最短ルートを探して1,2kmを迂回する。歩数カウントとMyMapという完ぺきな手段でも道を迷ってしまった。休憩していた男性に会う。フランス人Marcである。彼はドラマ監督を夢見てパリで勉強している学生であった。10月5日が授業の開始日であるのでそれまでに北の道を完遂させたいとしている。後で聞いたがバイヨンヌ近くの実家に寄ってからパリに入るということで、少なくとも10月3日にはSC(サンティアゴ)に着いていなければならない。ならば大体小生と同じペースの筈である。
とある教会でランチ。12:35。 彼とは何日かを共にすることになった。
Overlooking the blue sea from
camino(12:50)
彼は下り坂になると突然走り出すのだ。すべて靴のせいにしている。靴が自分を走らせているという。こちらもストックを両脇に抱え、スキー態勢で後を追う。荷物は両人ともテントとマットを担いでおり同じようなものだ。下り坂が続いたので、一気に追い越してしまったが。ただ彼は今日の長丁場と無理な走りが原因で、足を痛めてしまったようである。日ごろトレーニングをしていないせいである。
Olatz(オラ)あたりの山岳コース 最難関である。
まだまだ厳しい登りが続くが、14:20小休止、
breeze and blue sky in
plateau-garden(15:27)
16:30まだ5km残っている。下り坂では駆け足であった。アルベルゲは17:30頃には満室になるのだ。Zumaiaがそうであった。
the runch of Marquina-Xemein(マルキナ・シュメイン17:32)
さてアルベルゲはすでに満杯。床ならあると。すでに12人が床にマットをあてがわれ場所を確保していた。殆どがDebaから25kmのこの地を目標にしたらしく始めてみる顔、顔。Zumaia からは小生を含めて3人。21:00頃到着した2人の女性caminoは道に迷ったのかもしれない。こちらもお情けで床の人になった。
Map: Between
Zumaia and Marquina-Xemein
(スマイアからマルキナ・シュメインまでの地図)
Elevation Profile : Between Zumaia and Marquina-Xemein
(スマイアからマルキナ・シュメインまでの標高プロフィール)
max 498m、min 0m。この恐ろしいまでの高度差。歩行距離換算でプラス10kmはある。
【23.9/07(水) Marquina-Xrmein(マルキナ・シュメイン)からGernica-Lumo(ゲルニカ・ルモ)まで】+【Memoirs28−4th day of Camino del Norte】
本日のコースはMarquina-Xrmein(マルキナ・シュメイン)-Iruzubieta−Boliba−Cenarruxa−Gerrikaitz−Zarrabenta−Mendata−Elexalde−Arratzu−Marmiz−Mendieta−Gernica-Lumo(Gernika International Hostel)(ゲルニカ・ルモ)の25km。
5時起床。5:30 出発の仲間と食事。Marcを待って7:40 出発。
60人が2時間の間に出発した。それでも2人がチームを組んでいるとすると時速3kmのスピードとした場合 約 200mの間隔で並ぶことになり、前後にcaminoの姿は確認できない、空いているという感じ。
dawn scene in
suburban of Marquina-Xemein(08:08)
camino(09:45)
10:00 川沿いの芝生で最初の休憩。10:40 coffee 休憩 Munitibar。
ルクセンブルクの2人に会う Marc 55 Roland 62。彼らはゲルニカの歴史に触れるため到着してから歩き回るのだと。ピカソの絵にあるあの「ゲルニカ」である。十分観光しなければという姿勢。
12:35 水場・休憩 暑すぎて進めず。 Gernica-Lumo 8.5km手前の大屋根の下の日陰に 7人が休憩している。
Mendieta 14:10-14:45 コーラ+軽食・休憩 バスコ人が陽気に話しかけてくる。アルベルゲの心配をしてくれたり賑やかだ。コーラにレモンのスライスが入っていたが飲んでから皆のレモンをもらいがつがつと食す。これが効を奏した。俄然元気に。
Gernica -Lumoまで1.5km。インターナショナルホステルに15:30到着。あと10km頑張ってもよいのであるが昨日の疲れが残っているため贅沢にもここで投宿。たっぷり時間があるため日記などを書く。
ゲルニカには公営のアルベルゲがないので Gernika International Hostelを予定する。
Gernica(ゲルニカ)はLumo(Luno)と連合して現在はGernica-Lumo(ゲルニカ・ルモ(バスク語)・・スペイン語ではGuernica y Luno)という名前になっている。最初はここからバスに乗ってGernika(ゲルニカ)に行かなければならないような別の町かと思ったのであるが、浅はかであった。
1937年4月26日に義勇軍としてフランコ派を支援するナチス・ドイツ軍によって徹底的に壊滅させられた町がこのゲルニカである。無差別の大量虐殺に憤怒したピカソがパリで描き上げた大作が「ゲルニカ」である。
我々の Hostelは町の中心を流れるMundakako Itsasadarra川の右側に位置するため議事堂(Casa de Juntas)や、ゲルニカの木や、ゲルニカ博物館などのスポットを訪れるためには、橋を渡って西側の市街地に入らなければならない。
なにせ勉強不足のため肝心のスポットや、ピカソの作品「ゲルニカ」のレプリカも見ることもなく、スパーマーケットで明日の食料などを買いあさっている。惜しいことをした。
ただ町は完全に復興し綺麗な新しいビル群で覆いつくされていることは実感できた。
landscape of
Gernika-Lumo(skeched at 17:26)
きれいな町の佇まい
center of Gernika-Lumo (19:01)
幼児がおもちゃのショッピングカーを曳く。ほほえましい風景。
Map: Between
Marquina-Xemein and Gernica-Lumo
(マルキナ・シュメインからゲルニカ・ルモまでの地図)
Elevation Profile : Between Between Marquina-Xemein and
Gernica-Lumo
(マルキナ・シュメインからゲルニカ・ルモまでの標高プロフィール)
【24.9/8(木)Gernica-Lumo(ゲルニカ・ルモ)からBilbao(ビルバオ)まで】+【Memoirs29−5th day of Camino del Norte】
今日は久々の大都市ビルバオへ。Gernica-Lumo(ゲルニカ・ルモ)からは気持ちの良い田舎歩き。森を通り、Gerekiz→Goikolexalde→Larrabetzu(ララベツ)→Lezama(レサマ)経由で大都市Bilbao(ビルバオ)→公営アルベルゲPilgrims Hostel Bilbao 37km。
Gernica-Lumoゲルニカの高級Hostel に70人くらいが泊まった勘定。殆どが知り合いである。今日のコースはざっと見ると登り最高地点が374mと厳しい。朝早く出たほうが正解だろう。6時半朝食
7時半出発という一般コースのお膳立てで殆どがまだ寝ている。11:00 Goikolexea 1.3km手前で小休止。何せ我々2人は軍隊のような行軍である。雨の中、ぬかるみのなか、坂道の登り下り、カツカツと杖の音を響かせながら進軍していく。Larrabetzu着 11:30。カフェコンレチェ休憩。
今日は久々の大都市ビルバオへ。Gernica-Lumo(ゲルニカ・ルモ)からは気持ちの良い田舎歩き。森を通り、Gerekiz→Goikolexalde→Larrabetzu(ララベツ)→Lezama(レサマ)経由で大都市Bilbao(ビルバオ)まで。公営のアルベルゲは市内のPilgrims Hostel Bilbao
Lezama(レザマ)からはコースが2つに分かれる。どちらを行ってもよいのだが、5月に我々の仲間が歩いた近道と思しき道を辿ってみた。これは森の中を行ったあと高速道路に沿うような形で進み他方の巡礼路と合流する。
しかしながら、"高速に沿う"という美しい表現に問題があった。確かに「沿って」はいるが、高度が違う。急坂を上り詰めたあと、奈落へ転がっていくようで、三角形の上部の2辺を辿る。高速道路は遥か眼下。実に問題であった。
他方の方がおとなしい道であったようだ。道理でそのあと「おとなしい」道を歩いて来たドイツ人青年グループと会ったが、余力でどんどん最後の山を登っていく。こちらはぜーぜーはーはーで追いつくのがやっとの状態。ビルバオが近いとは言え延々登りが続く。下記標高のプロフィールで見るように、ビルバオ直前がなかなか厳しい。
視界が広がり眼下に大都市ビルバオが見えてきた。感動である。谷底に転がるようにして市街地に降り立つ。川まではまだまだ降りなくてはならないが途中にあったBarで早くもビールで乾杯。
まだ5kmも先のアルベルゲだというのに!
町はずれのアルベルゲPilgrims Hostel Bilbaoへは相当の登り。Marcはへばってしまっている。ここでイヌのデンソーに会う。イタリア人の大盤振る舞いに腹ペコな我々は救われた。
Parroquia Andra Mari de
Larrabetzu
(ララベツ小教区アンドラ・マリ教会、、skeched at 12:35 in angle of 210°)
15:45 Bilbao中心街。スーパーマーケットによって夕食、朝食をgetしなければならない。
The river of Bilbao(16:26)
到着は6時となるであろう。Marcはもう限界だ。息が切れてふらつきだした。町はずれのアルベルゲPilgrims Hostel Bilbaoへは今度は相当の登り。Marcはへばってしまっている。
丘の上からの絶景が素晴らしい。川沿いの道を進んでPortugalete(ポルトゥガレテ)に行くcaminoなら絶対に選ばないアルベルゲである。70名収用のアルベルゲは案の定がら空き。17:25到着。途中の市街地で何も買わなかったので食糧は枯渇状態。但し20:00に奇跡が起こった。イタリアンがカルボナーラを大量に作っていたのでご相伴に与れたのだ。ふんだんに肉もサラダもふるまわれた。ここでイヌのデンソーに会う。
Landscape of Bilbao from Pilgrims Hostel Bilbao
(skeched at 19:27 in angle of 0°
)
この運河に沿って歩くか、運河の手前を走る地下鉄に乗ってビスカヤ橋のあるPortugalete(ポルトゥガレテ)へ行くことができる。我々はあえて苦行のコース(山歩き)を選んだ。
Accompanied dog of camino
"en Denzel"(skeched at 20:00)
デンソー。賢そうな犬である。
オランダ人夫婦はこの犬を連れて、テントを背負って旅をしている。
Map: Between Gernica-Lumo and
Bilbao
(ゲルニカ・ルモからビルバオまでの地図)
Elevation Profile : Between Gernica-Lumo and Bilbao
(ゲルニカ・ルモからビルバオまでの標高プロフィール)
最高地点の実際は374m。
【25.9/9(金)Bilbao(ビルバオ)からPobeña (ポベニャ)まで】+【Memoirs30−the 6th day of Camino del Norte】
今日のコースは、Bilbao(ビルバオ)−Urgozo−Retuerto−Sestao(セスタオ)−Portugalete(ポルトゥガレテ) (Bizkaia-Zubia ビスカイア橋:世界遺産)−Playa de la Arena−Pobeña (ポベニャ)の31km。
Marcと行動を共にすると何時ものように遅いスタートで困ったものだ。しかしお互いに速いので助かる面も多い。7:45 出発。Bilbao の高台にあるホステルは8:00が退出限界。もう殆どが出発しており丘越えてPortugalete(ポルトゥガレテ)に向うための反対側の丘に取り付いているはずだ。我々も彼らを追うように進む。デンソーの家族が手前の急斜面の道を下っていたのに出会う。車の坂道とは別にcamino専用の道が崖の藪のなかに切られている。ここからはランドマークとなるのは送電線である。
camino道が送電線と何回か交差する。25mから191mまでと相当な登り道。
隣の町に下りきった箇所から複雑な住宅街のルートを嫌い独自ルートを行く。草道3kmの快適な道である。10:00最初の休憩。芝生+高速脇
Purple colored morning glory in
Sestao(セスタオ)
(紫色の朝顔、今後どこでも大量に咲くこの花に出会った。昼顔であろうか。 at 10:52)
Portugalete直前の町でCafe休憩 11:10。手前の運河からもビスカヤ橋が見えてきた。巨大な橋である。19世紀から現役であるという世界文化遺産。このpuente trasbordador(運搬橋)はフランスのRochefort(ロシュフォール)で見たPont Transbordeur de Martrou (マルトウの運搬橋)と似ているがこちらの方が大きい。
Portugaleteでゆっくり寛ぎここを今日の宿にと決めたにも拘わらずビスカイア橋を含む町並みをスケッチしたら先に行きたくなった。
Bizkaiko Zubio on Ria del
Nervión O de Bilbao(11:53)
Bizkaiko Zubio on Ria del
Nervión O de Bilbao(12:08)
Bizkaiko Zubio in Portugalete
(skeched at 12:23 in angle of 38° )
Casildo Iturrizor Kaleo(カシルダ・イツリソ通りからビスカヤ橋を眺望)
1886年から使われている橋で、運河を渡す吊り上げカーゴや高さ25mほどの目も眩むブリッジなどを楽しんでもいいのだが昨夜のcamino達が向かった筈のPobena(ポベニャン)に向かうべし と決定。スケッチの間公園で寝ていたMarcを起こし旅人となった。Portugalete は坂道の多い港湾都市でcamino 道は高速道路の方向に何処までも登っていく。
すばらしい3.6m巾の道が続く。デンソー達はこの水場で休憩していた。
どこから始まっているのか確認出来なかったが自転車と歩道専用の3.6m巾の道がここから利用できて夢のようなcamino 道。起伏が殆どない快適な道。5月や7月にcamino 仲間が間違いなく利用している。
このままサンティアゴまで続いてくれないかなぁと思うほどの快適さ。
13:25 公園で軽食休憩 オランダ人とシェパード・デンソーも水の補給と休憩、
Zierbenako 15:40 ビール休憩 pobenan 1km手前。
ポベニャンに到着も、既に満杯、テントを張る 16:26の時点で6張り。
Rio Barbdun、Ensenda de Muskiz、El Vivero対岸の岩場等をスケッチ。
Punta Lucero−Muskiz
ルセロ岬・・ムスキス−Pobeña
(ポベニャから眺望)(skeched at 17:20 in
angle of 38°)
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Muskiz
ムスキス−Pobeña(ポベニャから眺望)(skeched at 17:26 in angle
of 130°)
夕食は皆で近くのWiFi Bar ITXASPE に繰り出す。テント人も3人含めて8人、フランス・ストラスブルグからのAnnickアニカ、Martin マーティンなど。
Map: Between
Bilbao and Pobeña
(ビルバオからポベニャまでの地図)
Elevation Profile : Between Between Bilbao and Pobeña
(ビルバオからポベニャまでの標高プロフィール)
Max 195m
【26.9/10(土) Pobeña (ポベニャ)からIslares(イスラレス)まで】+【Memoirs31−the 7th day of
Camino del Norte】
今日のコースは、Pobeña (ポベニャ) −Cavaron−Onton(Cantabrian)−((Baltezana−Otanes—Santullan−Samano))−Miono−Castro-Urdiales−Allendelagua−Islares(イスラレス)までの28km。
浜辺の町 ポベニャンでは深夜4時まで外でけたたましい音楽が鳴り響き熟睡は不可能の状況。漸く4時に音楽がなりやんだが テントを4:30に起きる準備。アルベルゲ内はトイレなどを使えるように玄関が開けてあった。充電してあったスマホを取りだし何時ものように行動予定を入力する(上記の都市名の羅列)。魅力的な海岸コースと厳しい山岳コースの2コースが選択肢。
シェパード・デンソーを連れたオランダ人夫婦も隣のテント。ごそごそし始めた。既に時間は6:44。皆が起き出し始め早い連中は出発。暗い中満天の星に天の川。素晴らしい。天気が予想される。朝方は冷えるのでフル装備。
Pobeña(ポベニャ)を出て、崖を50m登ると、海沿いの遊歩道を進む。この断崖絶壁でcaminoが一人滑落をしている。陸の孤島状態のところでヘリコプターによる収容が行われた模様。
崩れた場所がいくつもありロープが張られたりしていたのだ。朝日が上がってきたため谷を回り込む道を駆け足。いつも思うのだが朝日を受け眩しくなる瞬間ほど素晴らしいものはない。
Punta del Castillo
(プンタ・デル・カスティージョの断崖の風景)(7:45)
Sunrise of Punta del
Castillo Viejo
(プンタ・デル・カスティージョ・ビエオでの朝日)(8:14)
断崖の途中にある部落のOnton(オントン)でVASCO(ヴァスク)州から、CANTABRIA(カンタブリア)州に入っている。Mioño(ミオニョ)の村で、鎌倉の切通しのような箇所があり、長いトンネルとなる。手前にも住宅があったが、そこからご婦人がカートを曳いて出てきた。われわれの前をずっと行く。隣町のCastro Urdiales(カストロ・ウルディアレス)まで買い物にいくのだろう。毎日ごくろうなことであるが、だいたいに於いて巡礼街道が地元民の重要な生活道路となっている。
11:00 Castro Urdiales センター到着。Marcは膝用のサポーター等を買いに薬局へ。坂道を一緒に走った時以来の無理がたたったらしい。この町に入る場所は375mの長いバイク+人道専用のトンネルと鎌倉にある切通しの道、Pobeña (ポベニャ) からの断崖絶壁の道を加え皆実に素晴らしい。Castro Urdiales の町もシャレーの館が連なるお伽のような町、お洒落な港町。岬のほうにある古城(Iglesia de Santa María de la Asunción) を見学。
Iglesia de Santa
María de la Asunción
(サンタ・マリア教会の前にある古城)
(skeched at
11:46 in angle of 260° )
スケッチ後、Bar Marisqueriaでピンチョス休憩、12:00-13:25 ここに大勢が参集。Camino達が我々を見付けて人数が膨らんでくるのだ。
イタリアからのバイク人、犬デンソーを連れたオランダ人、マーチン、マークスを含めて8人、賑やかだ。僕のスケッチを写真に取りだした。これでは午後の出発が遅れてしまう。Sandro というイタリアンだ。
lunchi menu in
Castro Urdiales
(カストロ・ウルディアレスでの昼食の)(12:28)
食後、旧市街地を抜け、Playa Ostende(オステンド)ビーチに進む。ほどなく町を抜け再び素朴なcamino道に戻る。ここではさきほどの喧騒が嘘のように静かである。しかし容赦なき熱い日差しを受け、くらくらしながら即歩で進む。
断崖にある村Islares(イスラレス) のアルベルゲに15:35到着。7kmもショートカットしたお陰で到着は早い。しかし2時間前に到着しているcaminoも居て驚きである。我々のように長時間駄弁ることもなく急いだのかと思いきやこちらも1時間はほどBarで時間を潰したという。皆20代の若さだ。
アルベルゲはドーネンションながら6€が言い渡された。まぁ維持費の用途であろう。部屋の通路部分にもマットを敷いて小生の居場所を確保。遅れて到着したMarcなど2,3人は外に張ったテントを利用する。10人ほどを受け入れたようである。Barが2軒あるだけの寒村である。自炊が出来なかったため巡礼者たちはそこに集結した。
このIslaresは絶景の場所にある。断崖を降りる階段があり岩場で水遊びをしているのを発見。スケッチ後小生も海の中へ。始めての海水浴である。ドイツでは水温14度となれば泳ぐという。太陽が燦々と照りつけるなかで海水は実に気持ちがよい。岩場の海水は澄みきっており水はどこまでも透明である。
小さな海老や蟹なども取り残された岩場の水溜まりにどっさり。3回もこの浜辺に降り海水浴。
Landscape of
Islares-1
(イスラレス)の風景(skeched at 16:46 in angle of 90° )
右下が浅瀬になっておりそこまで下りていくことができる。
ここで女性たちと3人で遊ぶ。彼女たちは泳ぎはしない。小動物をさがすのに必死。
Landscape of
Islares-2(イスラレス)の風景
(skeched at 17:22 in angle of 270° )
中央が村の教会(San Martín de Tours )、
その右側にアルベルゲ(Abergue Peregrinos Islares)がある。
little crabs(浅瀬で採れたカニ)(16:46)
Map: Between
Pobeña and Islares
(ポベニャからイスラレスまでの地図)
Elevation Profile : Between Between Pobeña and Islares
(ポベニャからイスラレスまでの標高プロフィール)
Max 169m
【27.9/11(日) Islares (イスラレス)からSantoña(サントーニャ)まで】+【Memoirs32−the 7th day of
Camino del Norte】
本日のコースは、Islares (イスラレス) −El Pontarron−Liendo−Tarrueza−Laredo −Santoña(サントーニャ)までの22km、フェリー900m。
昨夜は小さなアルベルゲに2,30人は泊まったであろうか。外に予め張られていたテントは10張りほど。犬デンソーを連れたオランダ人のように独自にテントを張った人もいる。7:00出発の号令をかけておいたドイツ人マーティン、フランス人マークはちゃんと6時には起きてきている。暗いが温かく天気は良さそう。7:15ほのかな明るさのIslares の村を南に抜けていく。高速の下がショートカットとcamino道の分岐点。
5月から6月にかけて歩いたcamino仲間が取ったようなショートカットはしないと決め常にロングウエイをと決めていたものの、今では常にショートカットを行く自分。友が居るからなのであるがZumaia (スマイア)からMarquina Xemein(マルキナ シュメイン)までの道が余りにもきつかったので、もはや山登りを身体が受け付けないのだ。許せ第2のota。
9:30-45.国道N634を延々歩いてうんざりしていたら、後ろのほうから海岸コースへ出るのはどうしたらよいだろうかとの相談があった。Igor Alberto Gomesイゴー(ブラジル人)である。彼もつかず離れず我々と行動を共にしている。2kmほど距離が多くなるが山道を期待を膨らましながら歩く。一気に登り詰めるとそこは見事な景観。今までで最高ではないだろうか。Laredo の町や宿泊予定のSantoña 、その背後の山々が一望できる。
普通海岸と言えば平坦な砂浜コースを夢見がちであるが、まったく違った、急峻な山を登っていくのだ。なんと海岸は断崖絶壁の連なりでここも危険地帯。なかなかのスリルがあった。
The cliff of
Punta Irio(イリオ岬(Villanueva))(10:24)
Distant View of
Laredo and Santoña
(手前がラレド、奥がサントーニャ)(10:41)
11:15 Laredo でトスターラ(トースト)休憩−12:00
Laredo beach(ラレドのビーチ)(12:23)
Laredo(ラレド)は長い砂浜を持つ町であった。その砂浜は5km。北スペインで最長という。
風がつよいがパラグライダーがたくさん上がっていた。
Santoña from Laredo
(ラレドからサントーニャ方向を眺望)
(skeched at 13:33 in
angle of 270°)
Ferry boat for
Santoña
(サントーニャへの渡し舟)(13:34)
船着き場13:20 強風の中スケッチ。浜辺を遠回りにして裸足で歩いてきた2人を待ち14:00 乗船。14:04 Santoña 着。
サントーニャの船着き場で驚いたのが、水深数メートルなのに、そこの砂がよく透き通ってみえることだ。これほどの透明の海水などいままで見たことがない。プランクトンが少ないせいかもしれない。はたまた砂がポリゴンのようになっておりよく太陽光を跳ね返す力を持っていたのかもしれない。アンチョビで有名なサントーニャで寛ぐ。イゴーはさらに前進。
6.5ユーロの公的アルベルゲ(町外れ)と12ユーロの市内アルベルゲがあるがウロウロしている間にレストラン街のとある館に引きずりこまれた。高い方のアルベルゲであったがこんなに早く投宿するのは始めてである。たまには贅沢もいいだろう。体が疲れきっている。5ユーロのドーネーションのアルベルゲばかり渡り歩いてきたのでその分の気疲れも貯まっている。WiFi から洗濯・乾燥機まで全て整っている。しかも朝食付き、冷蔵庫にあるものは全て使えるとあって逆に12ユーロでは安すぎる。ここの主人、記帳は各自でしろと面白い。手抜きの分だけ安いのかもしれない。スペイン語しか喋らないため、部屋の案内はジェスチャーである。
アンチョビといえばSantoña と言われるぐらい有名な町である。eva(エヴァ) shimmy(シミー)達と合流し気鋭をあげる。
Back Yard of
Pilgrims Hostel-La Bilbaina Hostel Santoña
(サントーニャのホステルの裏庭)
(skeched at 17:32 in
angle of 10°)
Calle los Claveloes
(ロス・クラベレス通り)
(skeched at 19:51 in
angle of 96°)
手前の2人はMartin と Shimmy(シミー)
Sunset of Santoña(サントーニャの夕陽)(20:03)
Map: Between
Islares and Santoña
(イスラレスからサントーニャまでの地図)
Elevation Profile : BetweenIslares and Santoña
(イスラレスからサントーニャまでの標高プロフィール)
Laredo手前の海岸コースは絶壁につづく絶壁であった。
Max 193m
【28.9/12(月) Santoña(サントーニャ)からGüemes(グエメス)まで】+【Memoirs33−the 9th day of Camino del Norte】
本日のコースはBrusco岬→Noja(ノハ)→S.Miguel de Meruelo(サン・ミゲル・デ・メルエロ)−Bareyo→Güemes(グエメス) 距離にして26km。距離は短いのでMarcやMartin達は寝ている。彼らを残し忍び足で廊下へ。
巡礼宿(La Bilbaina Hostel Santoña)を7:00出発。Punta del Brusco(ブルスコ岬)へ急ぐ。ここでの日の出を拝みたいためである。この丘の登りは尋常ではなかった。転げ落ちそうな道で、細すぎる。アルプスの山岳コースではよくある道であるが、caminoとしてはきつ過ぎだ。草を掴み、細い木にしがみつき、岩に爪を立て、難渋を極めながら登頂していく。眼下は海である。ヘッドライトが要らなくなった時点で、朝日の兆候。
8:00 Brusco突端から御来光を拝む。絶景!
The sunrise of Punta
del Brusco
(ブルスコ岬の朝日-1)(7:53)
The sunrise of Punta
del Brusco
(ブルスコ岬の朝日-2)(8:03)
Punta del Brusco(ブルスコ岬)(8:03)
岬を越えて海岸に降り立つ。潮が引いた直後の砂浜は、足がめり込むこともなく、道路のように固い。石川県の千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイのような固い砂浜。そこを歩く。道なき道であるが、遠目にNoja(ノハ)の町が見えてくる。
4km弱といったところかこの砂浜。川があったので2kmの地点で丘に上がっているが、実はこの川だって砂に埋もれる形で浅瀬になるので、構わずそのまま進んでNoja(ノハ)の町に入ってもよかったのである。犬を連れたcaminoがそうであった。
このノハで焦った。My MapとオフラインマップのアプリMaps.Meで近くを走っている道路の曲がり具合が全く合わないのである。現在位置確認に相当戸惑う。後でわかったがアプリの方が磁石を回転できるので、南北が逆になっていた。ひょんなことからそれを触ってしまったのであろう。こんな便利機能はなくしてもらいたいものだ。
9:00 カフェコンレチェ休憩
10:30 のどかな田園風景を行く
10:45 S.Miguel de Meruelo(サン・ミゲル・デ・メルエロ) 外れの教会の庭にマットを敷き食事休憩、久々の1人旅。自由に休めるところが良い。ここを越すと、のどかな田園風景となる。盆地になっているため高台から、Güemes(グエメス)のアルベルゲが見えているはずである。目を凝らしながら進んだのに、道を間違った。アルベルゲに寄らない正規のcamino道を取ってしまったためがこちらの方が今見ると近かったのかもわからない。18_03_002_aのポイントから340mで右折したが真っすぐ行く小道があったのだ。
12:45 Güemes アルベルゲ到着。驚きのアルベルゲである。スタッフが多い、客室は無限にある。コテージ、大型テントなどを合わせると70人は泊まれる。これを無料で営む主人はcamino 一の名物。白い髭を生やしたサンタクロース。
Front of Güemes
Pilgrims Hopstel
(グエメスのアルベルゲの正面)(14:37)
"Globetrotter Father Ernesto" gives the warmest wellcom to pilgrims
Back Yard of Güemes
Pilgrims Hopstel
(グエメスのアルベルゲの庭-キャピングハウス)(14:43)
Back Yard of Güemes
Pilgrims Hopstel
(グエメスのアルベルゲの裏庭)(14:44)
Güemes Pilgrims
Hopstel
(グエメスのアルベルゲ)(skeched at 16:22 in angle of 90°)
19:42 meeting が始まった。宿の100年にも及ぶ歴史やファミリーヒストリーなど延々。四国巡礼も紹介されそのたびに1人だけ日本人の小生に視線を合わせられ焦る。何せスペイン語、フランス語と英語の通訳といったように多言語が飛び交うなかで睡魔に襲われているからである。
20:40 やっと終わった、麺が入ったスープ、マカロニ、りんごなど。
フランス人Prul、オランダ人マーチン(60)、など多数の人と友達に。
Map: Between
Santoña and Güemes
(サントーニャからグエメスまでの地図)
Elevation Profile : Between Santoña and
Güemes
(サントーニャからグエメスままでの標高プロフィール)
Max 127m
【29.9/13 (火) Güemes(グエメス)からBoo de Piélagos(ボオ・デ・ピエラゴス)まで】+【Memoirs34--the 10th day of Camino del Norte】】
本日のコースは、Güemes(グエメス)−Linderrio−Garizano−Latas—Somo(ソモ)−Santander−Penacasillo −Boo de Piélagos(ボオ・デ・ピエラゴス)までの31km フェリー2.3km
6:45 巡礼宿(Güemes Pilgrims Hostel)を抜け出しChristineクリスティンとEleonolエレオノの若い女性2人と3人で一番隊を組む。7:00から朝食のサービスがあるのだが、その前の出発である。ビスケットを土産にどっさりと貰う。この2人とはIslares(イスラレス)の海岸で遊んで以来の付き合いであるがGüemes(グエメス)で同じ宿であったわけである。
とにかく気合が入っている。全員が寝静まっているのにこの3人だけが起きてきている。真っ暗な田舎道を進軍。彼女たちは本日の目的地Boo de Piélagosで泊ったあとは、知人の車でツールーズ経由でリヨンまで帰宅する。この日が最後のcamino行脚である。
その知人も一旦は北の道を歩いたが、昨日はこの先のSantander(サンタンデール)に泊り、以降車でBoo de Piélagosまで行って落ち合うという。実に立体的な経路で、徒歩と車をうまく使い分けている。全部を歩くというスタンスではないところが面白い。
さて、Santander(サンタンデール)にはSomo(ソモ)からフェリーで渡るが、Somo(ソモ)へのルートは2つ。海岸コースか「CA-141」(車道)かという選択肢。我々は例のように海岸コースを選択する。
Garizano(ガリサノ)の町から海岸線に入る。雨天の上に雷雲が迫ってきた。
Punta Rodico(ロディコ岬)(8:08)
fence storming(ロディコ岬近く、嵐の瞬間)(8:26)
brighting dawn of Ensenada de
Galizano
(ガリサノ入江が朝日を反射)(skeched at 8:28 in angle of 320°)
真っ黒な雲に稲妻が走る。時々日が差すという荒れた天候。20-40mの段丘がある絶壁で、サーフィンのメッカであろうか。キャラバン隊がテントを張っていた。稲妻、sunrais、虹・・・全ての自然要素が交じり素晴らしい光景。
8:36からSomoに向かい浜辺を歩く。潮が退いたばかりの砂浜は固いくらいだ。
Ensenada de Galizano
(ガリサノ入江)(8:40)
海岸コースの端、また砂浜を歩く。途中から犬Tulaの一行も砂浜を歩く
10:26 Somoソモ の波止場到着。
船は10:58出帆。一路Santander(サンタンデール)まではフェリーで2.3km。途中Pedreña(ペドレニャ)の波止場に立ち寄る。2.75ユーロ。
Scene of Santander from ferry(フェリーからサンタンデール)(11:16)
スペイン内戦で徹底的に破壊されつくされた町がSantander(サンタンデール)であるが、町は綺麗に復興しビルが立ち並ぶ。NECが掲げる「Orchestrating a brighter world」(世界の人々と協奏し、新たな価値の共創に貢献する)という立て看板が名所旧跡のコース上に建てられていた。波止場には近代的なミュージアムが完成間近を迎えていた。この町をぬけていく。
Santander(サンタンデールの街並み)(11:44)
当初宿泊予定のSantander(サンタンデール)を素通りし、Boo de Piélagos(ボオ・デ・ピエラゴス)を目指す。雨が降り続いている。途中公園で昼食。
Boo de Pielagosに15:00到着。このボオ・デ・ピエラゴスからは2つのコースに分かれる。Oruña de Piélagos(オルニャ・デ・ピエラゴス)を巡る5kmほど遠回りのコースと鉄橋を渡りMogro駅に寄るコースの2通り。最近では誰もが近道の後者を選ぶ。しかも安全な鉄道利用という方法である。アルベルゲの目の前に鉄道駅があるのだ。時刻表が台所に貼り付けてあった。
最初、鉄橋を歩いていくことを計画した。宿に着いてからも、この張り紙に気づかず、鉄橋に歩道があるのかないのかを視察に出掛けた。ついでにスケッチ。
日本に居る時からこの鉄橋のことは仲間うちで問題になっていた。caminoの予定コースが線路を渡っていたからである。しかしBoo de Piélagos(ボオ・デ・ピエラゴス)のホステル(Piedad Hostel)では鉄道利用が基本であるという。1時間に1本の頻度で駅を利用することができるのだ。朝方はもっと本数が多い。
Boo de Piélagos
(ボオ・デ・ピエラゴス)(skeched at 17:03 in angle of 270°)
アルベルゲから鉄橋を視察に行く。
線路を1kmも歩いて鉄橋現場へ。複線であるが貨物列車や電車がひっきりなしに通る。
恐ろしくて鉄橋脇を歩けるものではない。地元の青年二人が歩いて行ったが。
Map: Between
Güemes and Boo de Piélagos via Santander
(グエメスからサンタンデール経由ボオ・デ・ピエラゴスまでの地図)
Elevation
Profile : Between Santoña and Güemes
(グエメスからサンタンデール経由ボオ・デ・ピエラゴスまでの標高プロフィール)
Max97m
【30.9/14(水) Boo de Piélagos(ボオ・デ・ピエラゴス)からSantillana del Mar(サンティヤーナ・デ・マール)まで】+【Memoirs35--the 11th day of Camino del Norte】
本日のコースは、Boo de Piélagos(ボオ・デ・ピエラゴス)−Mogro−Cudon−Requejada(レケハダ)--Barreda(バレダ)-Viveda(ビベダ)−Camplengo-Santillana del Mar(サンティヤーナ・デ・マール)までの20km、鉄道1.6km。
本日のコースは20kmという短い距離であったためSantillana del Mar(サンティヤーナ・デ・マール)の町でしっかりと寛ぐ。昨日は驚いた。我々ChristineとEleonolとが、グエメスのアルベルゲ(Güemes Pilgrims Hostel)を出た時にはMarcやMartinが寝ていた筈なのに、Boo de Piélagos(ボオ・デ・ピエラゴス)の宿に着いたら彼らが玄関前のテーブルでビールを飲んでいた。側にはShimmy(シミー)も居るではないか。恐らくサンタンデールの町から、鉄道に頼ったようである。
サンタンデールの町をあまり面白くないととらえていた節がある。しかも昨日はづっと雨であったためスルーしたのだ。
7:30 Boo de Pielagos のアルベルゲから北に50mの所に駅がある。電車で一駅のMogro(モグロ)駅まで乗る。"運悪く(?)"乗りこんだ場所に、女性の車掌が待ち構えていた。1.65€のお金を払って乗った初めての日本人となってしまった。実はこれが正しいのであるが、ホームに券売機がないことと、車輌の中で清算するには一駅があまりにも短いためつり銭などで手間取っていると多人数を捌けないという理由からほとんどが無賃乗車となってしまうのだ。
さて、Mogro(モグロ)駅と実際のMogro(モグロ)村とは距離が離れている。昨日のスケッチに描いた三角山の北側に町がある。この山を巻くように西側に進んでいく。ちょうど日が昇りだした。
morning glow of Mogro(モグロの朝焼け)(7:59)
広大な田舎の風景が続くが、面白いことに三角山は沢山あって、それぞれ似たような風景である。
同じところをぐるぐる回っているのではないかと錯覚を覚える。パイプラインがづっと続く道を延々と歩いて行く。Cudón(クドン)--Requejada(レケハダ)--Barreda(バレダ)-Viveda(ビベダ)など似たような名前の町が続くが、港湾都市によくある鉱石産業で発展した市街地のようである。
10:00 小休止
11:52 一大観光地:Santillana del Mar(サンティリャーナ・デル・マル) に午前中に到着してしまった。
View of Santillana
del Mar(サンティリャーナ・デル・マルの近影) (11:55)
アルベルゲは16時受付。キューを作って待つつもりで長時間休憩、しかしComillas(コミージャス)まで8kmの道を進もうと14:30 出発。ここで電話が入った。先に行った筈のMartinがまだここに居るのだと。
15:10 元に戻りSantillana de Mar に予定通り投宿。これほど大きい"村"を見たことがない。石畳で敷き詰められた道々、無数のホテル、1000枚以上のスケッチポイント!すごい観光地だ。2km先にアルタミラ洞窟がある。見処の多い観光スポットであった。
10kmくらい当所予定よりアドヴァンスして進んでいたがこの時点で貯金が無くなった。明日はSan Vicente de la Barquera(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ) まで行かなければ!
宿泊したホテルは8つのバブル噴出のノズルがあるという高級仕様のシャワルームがあった。
Santillana del Mar(サンティリャーナ・デル・マル)を有名にしているのは、この村からアルタミラ洞窟までの散策路であろう。Cuevas de Altamira(アルタミラ洞窟)へは往復5.2km。
Landscape of
Santillana del Mar
(サンティリャーナ・デル・マルの佇まい)
(skeched at 12:15 in
angle of 226°)
Palacio de Los
Velarde of
(Velarde宮殿)
(skeched at 12:30 in angle of 40°)
Back Street
(裏通り)(skeched at 12:45 in angle of 150°)
1m動くと景色は変わる。何千枚もスケッチしたくなる村であった。
我々がBarを梯子している間、ChristineクリスティとEleonolエレオノの2人はアルタミラを見学している。Boo de Piélagos(ボオ・デ・ピエラゴス)停まりであった2人は、ストラスブルグに住むマークス夫妻と1日日程を伸ばし、ここにやってきている。我々は、マークス夫妻と合流し、Barで気鋭を上げる。
Map: Between Boo
de Piélagos and Santillana del Mar
(ボオ・デ・ピエラゴスからサンティリャーナ・デル・マルまでの地図)
Elevation Profile :Between Boo de Piélagos and Santillana del Mar
(ボオ・デ・ピエラゴスからサンティリャーナ・デル・マルまでの標高プロフィール)
Max122m
【31.9/15(木) Santillana del Mar(サンティヤーナ デ マール)からSan Vicente de la Barquera(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ)まで】+【Memoirs36--the 12th day of Camino del Norte】
本日のコースはSantillana del Mar(サンティリャーナ・デル・マル)からEl Arroyo(エル・アロヨ)--Oreña(オレニャ)--Caborredondo(カボレドンド)--Cigüenza(シグエンサ)--Cóbreces(コブレセス) --La Iglesia(ラ・イグレシア)--Concha(コンチャ)--Comillas(コミージャス)を経てSan Vicente de la Barquera(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ) までの32km。
9:40-10:00 Cóbreces(コブレセス) Barでカフェコンレチェ休憩。
11:30-45 Comillas(コミージャス) Bar で軽食休憩。雨のためショートカット。CA-131は実に快適。起伏もそこそこに都市を結んでいく。
streets of Comillas(コミージャスの町並み)(11:45)
この町もSantillana del Mar(サンティリャーナ・デル・マル)同様、古い石畳の町である。海際であるため丘の上は暴風雨をよく受けるのであろう。家々がより一層くっついているように感じた。雨をよけながら、回廊ですこし寛ぎつつ、camino仲間たちとBarで昼食。雨具など大量の荷物なのにBar側は一切文句を言わず場所と時間を提供してくれている。
Comillas からは罪滅ぼしの気持ちで海岸コースを選択。ただnormal wayより500m長いだけだ。My Mapがこういうとき役立つ。大体の距離ではなく10m単位で距離と合計が示されている。景色のよい海岸コースを勧めてみた。どちらの道がどれだけ長いかを示すことができ説得力がある。ドイツからの女性はJakobsweg のガイドブック本を持つものの、曲がり角の度に立ち止まって本と首っ引きである。こちらは測定をしながら歩いているのでちょっとした曲がり角でも惑わされることはない、多数のバリアントルートがあることを場所毎に解説ができるのだ。アルベルゲだって迷うことはない。階段を登りきり一発で探し当てる。
さてこの海岸コース、実は大変な強風で進行が阻まれるほど。リュックを担いでいなければ吹き飛ばされる所であった。白波が幾重にも立ち上がっては海岸に押し寄せる。嵐のような風である。まともに我々を叩きのめす。
Distant view of San
Vicente de la Barquera from the coastal camino road
(海岸伝いの道からサン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラの町)(14:26)
foaming ,crazy coast
(たけり狂う海)(14:42)
丘を下り、風の無いところに降り立ち命拾い。San Vicente de la Barquera(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ) の町に亘る橋も、海からの風を受け、大波が立っていた。橋の右側(内陸方向)はParque Natural Oyambre自然公園となっている。
S.Vincente de la Barquera のアルベルゲ 15:30到着。10人くらいがopenを待つ。ほどなく門が開き、簡単な説明のあと記帳が始まった。維持費として10ユーロ。6月に一ヶ月ほどtomokoさんという日本女性がホスピタリティーを勤めたという、素敵な人であったとお褒めの言葉。
ホステル(El Galeón Pilgrims Hostel)に到着してからは大変である。傘をさしてのスケッチとなったからである。そこに中国人女性が到着した。彼女はSantillana del Marから先に歩いていった筈で、どこかで泊ったのちここにやってきていた。ペン画ながら、スキャナーのように景色を左からトレースし細密画を描く。パリのレストランで修業中の女性でもうしばらく歩いたのち北の道を切り上げてパリに帰る予定である。パリの店の名前は聞いてあるので機会があれば再会したいものだ。その彼女が軒先でノートbookに絵を描きだした。
ホステルは丘の上の見晴らしの良いところに立地するが、買い物には下界に降りていかなければならない。迷路のような坂道をおりスーパーを探す。このホステルに面倒見のよいお兄さんがいた。最初はホスピタレロの見習いかと思ったが彼もcaminoでバスク地方の警官であった。明日行動を共にすることになろうとは。ものすごい速歩の持ち主ながら、早く歩きすぎて足を故障したのだ。アルベルゲに到着するまで休まないという悪い習慣を持っていた。もっと制止してあげればよかったと反省。
North part of San
Vicente de la Barquera
(対岸の風景)(skeched at 17:50 in angle of 22°)
印象的な赤い屋根の家が整然と層をなして並ぶ
Map: Between
Santillana del Mar and San Vicente de la Barquera
(サンティリャーナ・デル・マルからサン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラまでの地図)
B点の手前5kmが海岸コース。なだらかな砂浜から絶壁の淵まで起伏に富んだコースである。
Elevation Profile :Between Santillana del Mar
and San Vicente de la Barquera
(サンティリャーナ・デル・マルからサン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラまでの標高プロフィール)
Max145m